『めてぃすわーるど あぺんど!』サンプルSS 『サヨナラナミダ』
慶司が、誰かと付き合うことになったらしい。
……という話を沖原琴羽、つまりあたしが聞いたのは、慶司本人からではなく人伝だった。その時は、ああ、あれだけ各方面から好意を向けられていてようやく誰かと落ち着いたんだな、という印象が強かった。そして、誰が慶司の恋を自覚させたのか、ということも気になったけれど……残念ながらそれはあたしじゃなく、
「…………………………………………………………」
目の前でベッドに腰掛けてぼおっとしている、あたしのルームメイトでもないようだった。
元からぽやっとしていることが多い気がするけれど、今日はいつにも増してそんな印象が強くて。何かがあったことは間違いなかった。
「風花」
「……?」
あたしの呼びかけに、風花はこちらを振り向いた。その頬は赤くなっていて、目元は潤んでいる……泣き腫らした痕だ、というコトが容易に分かるくらいに。
理由など、聞かなくても簡単に分かった。一年と少しの付き合いだけれど、それくらいなら。
「……慶司のこと?」
「…………………………ん」
少し間をおいてから、風花はこくりと頷く。どうやら風花もまた、今回の慶司のことをどこかで聞いたようだった。そして――これは本当かどうか確証は持てないけれど――風花は、慶司のことが無意識に好きだったはずで。……だから、きっと。
「ダメだった、みたい。よく分からないけど……慶司くんが付き合い始めたって聞いたら、何だか止まらなくなっちゃって」
「そっか。……や、あたしもそういうのはよく分かんないケド」
頷き、あたしは風花の隣に腰掛ける。ぎしり、というベッドのスプリングの軋む音が、あたしたちの声だけが響く室内で、妙に大きく響いた。
「ほら、慶司ってあちこちから好意持たれてたでしょ」
「……琴羽ちゃんも?」
「そこであたしを持ち出すかっ。……ま、否定はしないけどさ」
思わず苦笑いを浮かべて、あたしは風花をからかうような口調で突っ込んでみた。……それに対する反応が乏しいのは残念な気もしたけれど、そんなリアクションを求める場でもないし、それ以上追求もしないでおく。
「……あたしは、こっちに来た時点でそういうのは切ってたし。今更どうこう、ってわけじゃないけど」
「……」
「今更、ってのも少し変かな。……ま、その辺は幼馴染だし。ちょっと違う感覚の気もするんだけど」
「……」
「ともかく、だからいずれこうなるだろうとは思ってたし。そういうのを気にしちゃ駄目だ、ってね。……そう、思う」
「琴羽ちゃんが?」
「……? あたしは、ね」
「……うん、私は」
風花は頷いて、あたしの方を向き、微笑む。
「私は大丈夫、だから。思い切り泣いたし、きっと……ううん、絶対、大丈夫」
「……ん」
そんな顔で大丈夫、と言われてしまえば、あたしからこれ以上声をかけてあげることはできない。……風花は、あたしよりもずっとずっと強いから。
となれば、あとは一人になっていた方がいいのだろう。……そう思って、あたしは軽く伸びをしてから腰を浮かそうとした。
「それじゃ、ちょっと散歩に行って――」
「琴羽ちゃん」
「?」
不意に強く呼び止められ、思わずあたしは立ち上がりかけた動きを止めていた。……どうしてだろう、と戸惑ってしまう。
風花がここまで強い口調で物事を言うことに、どうにも違和感を覚えてしまう。
「……風花?」
「……ごめんね?」
「え? いや、そこでごめんって謝られても」
「……そっか。琴羽ちゃん、気付いて、ないんだ」
「……?」
風花は微笑みながらゆっくりとかぶりを振って、不思議そうな顔をしているであろうあたしにぐっと近寄った。そして、細い指をあたしの頬に……
「!」
ぞくり、というくすぐったい感覚。それはとても一瞬で、風花の指はすぐにあたしの頬から離れた。
「ちょっ、風花!?」
「……琴羽ちゃん」
瞳は少し虚ろなままで。
泣き笑いの表情のままで。
それでも、しっかりと。
風花は、あたしを見据えて……投げかける。
「……どうして、泣いてるの?」
そんな、考えもしなかった言葉を。
「え……」
一瞬、何のことなのだろう、誰のことなのだろう、と考えてしまう。けれど、今風花が話しかけている相手はあたしで、風花の指が……しっとりと濡れているのは。
……何かが、あたしの頬を伝っている、から。
「……あ」
そう。
自覚してしまえば、あとはとても簡単なことだった。
そういうのは切ってた。
ま、その辺は幼馴染だし。
気にしちゃ駄目。
風花は、あたしよりもずっとずっと強いから。
あとは一人になっていた方が……
……それは本当に、風花に向けて言っていた、思っていたモノなのか。
無意識に、風花に投げかけると同時に、自分自身にも向けていた言葉ではなかったのか。
多分。いや、絶対に。
……私自身も、また。風花と同じように……
「あれ、変なの。貰い泣き、か」
「嘘」
強がりでしかないあたしの言葉を遮って、風花はあたしの瞳を射抜くように、まっすぐに、こちらを見据えてきた。……そう。この顔に、あたしは隠し事ができない。
「……違うんでしょ? だって、最初からだった」
「……」
そう言う風花の顔は、涙でぐちゃぐちゃで。それでいて微笑んでいるから、何だかよく分からないものになっている。ああ、みっともない。けれど、そう思っているあたしも、きっと似たような表情になっているはずで。それに……最初から。それは、あたしが風花に話しかけたときから。それとも、もっとずっと前から。それは分からないし、分かりたくもない。
けれど、あたしは……
「……違う、かな」
強がりたかった。強がって、いたかった。
逃げて。逃げて。逃げ続けて。
……それでも。いざ知ってしまえば、認めてしまえば、後はとても簡単で。あたしの中で音を立てて壊れ、音を立てて溢れていく。
「……うん」
ああ、そっか。まだ諦め切れていなかったんだ。
それがずっと昔から引きずっていたものなのか、澄之江でくすぶっていた想いが再燃したのか。きっと、どっちも。
「……ゴメン。似てるね、あたしたち」
「……そう、だね」
似た者同士だった。少なくとも、速瀬慶司を好きになってしまって、それを告げることも無く、その想いが終わってしまった、という……どうしようもなく滑稽な一点で。
だから、せめて。
今は、今だけは、思い切り泣いてしまえばいい。
明日にはまた『沖原琴羽』でいられるように。